命の順番

 命の順番について考える。

 生きている人間には全員番号が振られていて、その順番に死ぬ。

 「ママも、いつか死ぬの?」

 保育園からの帰り道で娘にそう聞かれた日から、いつか自分の人生が終わることを強く自覚するようになった。もしかしたら、もう折り返しているのかもしれない。娘よりは、たぶん先に死ぬ。私の番号は高い確率で娘よりは早い。でも、それが何番なのかは知らない。

 義父は四人兄弟の四番目で、昨年二番目のお兄さんが亡くなって、今年一番目のお兄さんが亡くなった。先日会った時に「来年は自分かも」と冗談のように言っていたが、その冗談は笑えなかった。いつまでも元気でいて欲しいけど、たぶん順番が近づいているのは確かだ。それは私も一緒なのだから、義父よ、安心してちょうだい。

 もう折り返しているのだとして、人生の前半は次から次にやることがあって、正直、この歳になるまで走り抜けてきた感覚がある。小学校まではあまり記憶もないが、小学校、中学校、高校、大学、社会人、結婚、出産、いつもやるべきことは多かった。自分が自分自身に、あるいは周囲が勝手に私に課してきた「やるべきこと」は、もう特になさそうだから、たぶん人生の後半は長く感じるだろう。

 自然体なら人間の寿命は約38年というのを何かで読んで、「あ。じゃあ、もうそろそろ死ぬころだ」自分が今抱えている“生きるのに少し飽きている感覚”の解が見つかったようで少し安心した。肉体はもう死んでもいいと言っている。ただ、心はまだ生きると言っている。

 「もうその話はおしまい」

 命の話は、必ず娘から始まって娘が終わらせる。気になって仕方がないけれど、聞いて悲しい気持ちになると突然おしまいを告げる。

 今日は、ここまで。