全部、ロックだった。

 29歳の春。

 シンガポールへの一年間だけの赴任。

 もう10年前か。10年経って、その間に何度も思い出した。フラッシュバックする場面はどれも鮮明で、後悔と慕情が混在する複雑な感情でそれらをただ眺める。私にとってあの日々は、人生で一番情けない日々。だけど、青春のど真ん中で、最高にロックだった日々。二度と戻りたくないほど恥ずかしいことが多いけれど、やっぱり通らないとその後の人生がうまく繋がっていかないと確信できる、そんなターニングポイントだった。いくつもの人生の選択があの一年に集約されていたのに、私自身はそのことを理解しておらず、ただ無意識に本能的な決断ばかりを重ねた。でも、きっとそれが結果的にはとても良かったのだ。

 極彩色のアジアの夜は、華やかで騒がしく、若いエネルギーを無限に吸い込んでくれた。そんな喧騒を捨てて、日本に帰国することを決断した時に、私の手の中からは海外赴任の夢が消えて、未来の夫が残っていた。

 シンガポールでの仕事は、だらしなかった。毎晩酒を飲み、毎朝二日酔いで、今の業務量と比べたらろくに働いていなかったと断言できる。それでも、一つだけやったと言えることがあるとすれば、バンド。総勢9名、私を除いてみんな男性、会社内の職務は様々で、ディーラーやら部長やらシステムエンジニアやら、個性も様々で年代も様々。元々は毎年開催される社内の500人規模のクリスマスパーティーに向けて組成されたバンドで、バンド以外にもパーティーを盛り上げるための催し物として有志のダンスチームなども立ち上がっていた。ダンスチームは応募人数が多く、特に若手に人気で、文化祭のような雰囲気で本番に向けて楽しそうに練習していた。そんな中、私はなぜか同じチームにいた同僚のK氏の強い推薦により、あまり人気のないバンドの、しかもボーカルに抜擢された。初めてメンバーが集まる会議室に入ったとき、引き返したくなるくらい雰囲気が悪かったのを覚えている。業務上普段関わらないような男性陣に囲まれて震えていた。

 そこから一体どのようにして打ち解けたのか全く記憶にない。明確な出来事があったわけでは無かったが、日々のバンド活動を通して徐々に唯一無二の、メンバー曰く「最高のバンド」になったのだろう。バンド経験がなく比べるものがないからよくわからないが、私の人生でおそらく唯一のバンド。クリスマスパーティーが大成功を収めたから余計に結束したのだろう。

 メンバーのバンド愛は強かった。ボーカルに対しての期待も高かった。

 私は別に特別歌がうまかったわけではないが、歌えと言われた歌を少しも恥ずかしがらず振り切って歌えたし、英語の発音が良かった。私の歌い方の癖を理解したメンバーはまずロックを教えてくれた。それまで聞いたこともなかったし、聞いても特に良さはわからなかったが、毎日毎日聞かされているうちに親しみくらいは湧いた。名曲のいくつかをネットで検索したら、今はどのロックバンドも老人ばかりで驚いた。

 メンバーはみんなバンドを通して誠実に音楽をやろうとしていたと思う。私だけ未熟で、私だけ誠実じゃなかった。私以外のメンバーは楽器を奏でることができ、それは経験がないと扱えないもの。コードを覚えたり、指の運びを覚えたり、どの楽器も長時間の鍛錬が必要で、彼らはそれを地道にやってきたという自負があり、堂々としていた。私は歌うだけで、その歌唱力は友達とカラオケで遊びながら鍛えただけだったが、私が彼らの中であんなに堂々としていられたのはなぜだろう。今からでも当時の自分に尋ねたい。

 「ねぇ、それは若いから?」

 歌詞をろくに覚えずステージに上がったし、音程もよく外した。メンバーが勝手に受けてきたステージの依頼をこなしているという感覚が強く、前向きに取り組もうとか、アピールしようという意欲に欠けた。私だけが他の8人と相当の温度差があったにも関わらず、それを叱られたことはなく、逆に私のいい加減さや、上下関係を無視した無邪気な行動や、二日酔いで嗚咽しながら歌う様子さえも、面白がられていたような気がする。

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 帰国してから数年後のある夜、バンドメンバーのうち数人が丸の内勤務であることがわかり、久しぶりに集まろうということになった。楽しい夜だった。終盤に差しかかった頃、あの日々は宝物だったと誰かが言って、その場にいた全員が激しく同意して頷いていた。

 私だけ、少し違う気がした。一人だけ不誠実だったのに、その日々を宝物と言われると居心地が悪かった。そんな想いをそのまま酔った勢いで伝えると、予想外の言葉が返ってきた。

 「それが良かった」

 あなただけ、そういう過ごし方をしてくれたから、みんななんだか力が抜けてあのバンドは結束できた。そう言われるのは不思議な感覚だった。私自身のリアルな記憶を超えて、誰かの美しい思い出の中で私が輝いている。それってまるで小説みたい。そして、その夜からもう気にしなくなった。誰かの記憶に強く作用してしまっている自分の存在を、一つ一つ消して周ることはできないのだから、もう小説の登場人物にでもなったような気分で、あの頃の奔放な自分を放っておこうと思った。「そんなこともありましたね」って今なら笑える。