正論

 私の会社では数万人が働いている。
 老若男女それぞれが、それぞれの事情を抱えて、表向きには平静を装いながら、とても礼儀正しい距離感で、朝から晩まで働いている。

 この場所には正しいことしかない。
 正しい組織の中で、正しい手続が定められて、正しい事務フローが機能して、とにかく日々正しい。

 そして、この場所には正論しかない。
 自分の所属や立場や権限をよく理解した大人同士が自身の正論を持ち寄ってぶつかり合う。それはきっと多様性という観点では悪いことではないはずなのに、向いている方向は同じで最適解をみんなで探しているはずなのに、議論の末、最終的に人格だけが摩耗していくのは、なぜ。

 私の関わるいくつかの案件にはワーカーズ・ハイが常態化している人間もいて、長時間労働や残業に対して無感覚になるのに反比例して不思議な万能感に支配されているのが傍目からもわかる。その感覚を私はほんの少しだけ知っている。

 案件を力強く推進することこそが重要だと熱心に働く彼らと、最愛の家族との時間を犠牲にしてまで働く必要はないと割り切って早々と帰宅する私との間に、妥協点などあるのだろうか。私もかつては確かに彼らの側にいたはずなのに、親になった途端、私は対岸へ渡り、違う正論を手に入れた。