おやすみなさいと笑って寝たはずなのに、暗さに目が慣れたころ、長女が寝返りを打って、しばらくするとその肩が小さく震えていることに気づいた。私は声をかけずにしばらくその背中を眺めてから、起きていることを伝えるためだけに背中にそっと手を当てた。
知っている。
その涙の理由を、実は知っている。
正確には、その涙に理由はなく、ただ流れてしまって、自分ではどうしようもないものなのだということを知っている。ほとんどの涙は何かしらの出来事によってもたらされた強い感情を起点にしているが、時にはこんな涙がある。
波のように他のあらゆる感情を押しのけて、何かが自分の中を占拠している感覚、それを逃す発露として涙が最適だったことを覚えている。
そして、そんな時に「どうしたのか」「どうしたいのか」「大丈夫か」と矢継早に尋ねてくる大人への反応に困っていたことも思い出す。
大人はいつも理由を求めるけれど、理由を子供は知らない。どうしたということはなく、どうしたいわけでもなく、大丈夫ではないけれど、しばらくしたら大丈夫にはなると思う。そんな風に答えられる子供はいない。
「あのね」
それでも子供は挑戦する。
長女がこちらを向き、闇の中で小さな唇が動く。
息を止めて耳を澄ませる。何を言うの。教えて。
静かすぎる。
私は同じ涙を流していた5歳の自分自身と向き合っているような錯覚を起こす。私と長女は顔だちがよく似ているのだ。
今夜、期せずして、私は30年越しに5歳の自分がなぜ泣いていたのか知ろうとしているのか。
「なんでもない」
そう言って、へへへと笑った顔がきれいで、私もそんなことあったよ、わからないって感じわかるよ、と大人ぶるのはやめて、ただ抱きしめてみる。