K氏の風景

 職場に一人だけ気を使わずに話せる人がいる。
 その人(以下、K氏)が私に対してどのような感情を持っているのかは知らない。興味もない。別に嫌われていてもいい。マウントの必要が無く、純粋に会話を楽しめる相手だから居心地がいい。

 彼は60歳で、読書好きの妻がいて、離れて暮らす二人の子供がいる。仕事ぶりは極めて真面目で、週末は趣味のサッカーを楽しむ。失礼ながら年齢よりかなり高齢に見えるのは、ロマンスグレーどころじゃない白髪ばかりの髪のせいかもしれないし、いつも眠そうな垂れ目のせいかもしれないし、しわがれた声や話し出す時の吃音のせいかもしれない。私はその吃音を気に入っている。

 普段のK氏は退屈そうで気怠く、見た目の印象も含めると老人そのものという具合で、必要以上に邪険にしてしまいそうになるが、会話が弾んで話題が多岐に及んだ時に見せる他人への強い好奇心や、前向きで中立的な世界への目線には、いつも学ぶことが多い。

 K氏は会話の中でたくさん質問をする。
K氏の素晴らしいところはただ聞いて、気になることや知らないことがあればたくさん質問して、自分の意見を言う。そこには私を導こうとする図々しさも無ければ共感しようとする馴れ馴れしさもない。
 そのことが私のような偏屈には好ましいのだ。

 「なるほどなるほど」
 「それはどういうこと」
 「それについてはどう思ったの」
 「なるほどなるほど」

 聞き上手のK氏が先日珍しく自分の話をした。週末にサッカーをしている話から、私がスポーツはどうも苦手で得意なものがあって羨ましいと話すと、いやいや元々は大変な運動音痴で今も昔も全く泳げないと教えてくれた。

 「小6の時、親の転勤で転校することになって、それがちょうど林間学校の直前だった」
 「小6の転校?それって辛すぎませんか。友達と一緒に卒業できずに離れたってことですよね」
 「いや、嬉しかった。転校すれば林間学校で泳がなくていいから。僕、その時に自分は持ってるなって思った」

 私は笑った。この考え方がK氏の本質かな、と思った。当時、周りの大人は勝手にK少年の気持ちを慮って心を痛めていたことだろう。でも、K少年の心には傷一つついておらず、彼はただ静かにガッツポーズをしていたのだ。

 K氏の細い肩の向こうに海を見る。
 小6のK少年が、転校により幸運にも免れ、その夏林間学校の遠泳に使われた海。その海の沖に向かって進むいくつもの水泳帽を、K少年は砂浜で膝を抱えて微笑みながら見ている。