その曲線

 小さく生まれた次女は、予期せぬ急な入院(肺炎、喘息、感染症など)を除けば通院ペースは2ヶ月に1回くらいまでには落ち着いてきていた。

 安心していた矢先に能面女医がまた新たに憂鬱なことを言い始めた。
 「成長曲線に追いついてこないので、そろそろ成長ホルモンが正常に分泌されているか気にしたほうがいいかも」

 目が見えないかも、耳が聞こえないかも、肺が弱いかも、造血機能が弱いかも、かも、かも、かも。生まれてからずっといくつもの「かも」に怯えながら、それでも前に進むために検査したり経過観察したり、丁寧にやるべきことを全てやって不安なことを排除してきたつもり。

 超低出生体重児かつ早産児にしては極めてトラブルが少ない子供ですと前回の診察では言われて、今回もさっきまでは恒例の問診による発達項目をチェックして、社会性と運動はいい感じですなんて言われて、わーいなんて思ってたら久しぶりに重い話きたなぁ。いや重いのかな、そもそも。

 まだ検査段階だし、実際に治療に入るにしても3歳以降らしいから、まだ先の話だとは思うものの、いざ始まったらどうなるかとか具体的に考え始めたら、調べる手が止まらなくなった。治療期間は長期、高額治療だけど要件を満たせば助成制度の利用が可能、自宅で親が注射。
 次から次に色々あるね。これを試練と呼ぶの?
 でも、親がやることは今までと変わらない。
目の前で起こっていることに対して全力で冷静に向き合う。考えることを止めない、さぼらない。

 君の出生体重や出生状況のことを知ったら、この先も好き勝手なことを言う人がいるだろう。粗探しするみたいに、君の言動を観察して、何かあるに違いない、何か障害を持ってるかもしれないって勝手に考える人もいるかもしれない。
 でも、それはもう仕方ないから放っておこう。
 私がどんなに大声で「この子は問題ない子なんですよぉ!」って叫ぶより、君が笑って心豊かに毎日過ごすことが、より確かに、より多くを周りに訴える。君が生きて証明してくれ。

 いつか能面女医の診察室に呼ばれて「お母さん、もう通院しなくていいよ」って言われて、「結局、小さく生まれたってだけでしたね」ってもし言われたら、その時は泣こう。

 生まれてからこれまでずっと堪えてきた涙を、少しも我慢せずに思いっきり泣き崩れてやろう。
 その時、能面女医はどんな顔をするのかな。
 その顔に向かって、私、絶対こう言う。
 「私は、ずっとそう思ってました」って。

彼女が泣くのは

 おやすみなさいと笑って寝たはずなのに、暗さに目が慣れたころ、長女が寝返りを打って、しばらくするとその肩が小さく震えていることに気づいた。私は声をかけずにしばらくその背中を眺めてから、起きていることを伝えるためだけに背中にそっと手を当てた。

 知っている。
 その涙の理由を、実は知っている。

 正確には、その涙に理由はなく、ただ流れてしまって、自分ではどうしようもないものなのだということを知っている。ほとんどの涙は何かしらの出来事によってもたらされた強い感情を起点にしているが、時にはこんな涙がある。

 波のように他のあらゆる感情を押しのけて、何かが自分の中を占拠している感覚、それを逃す発露として涙が最適だったことを覚えている。

 そして、そんな時に「どうしたのか」「どうしたいのか」「大丈夫か」と矢継早に尋ねてくる大人への反応に困っていたことも思い出す。

 大人はいつも理由を求めるけれど、理由を子供は知らない。どうしたということはなく、どうしたいわけでもなく、大丈夫ではないけれど、しばらくしたら大丈夫にはなると思う。そんな風に答えられる子供はいない。

 「あのね」
 それでも子供は挑戦する。

 長女がこちらを向き、闇の中で小さな唇が動く。
 息を止めて耳を澄ませる。何を言うの。教えて。

 静かすぎる。
 私は同じ涙を流していた5歳の自分自身と向き合っているような錯覚を起こす。私と長女は顔だちがよく似ているのだ。

 今夜、期せずして、私は30年越しに5歳の自分がなぜ泣いていたのか知ろうとしているのか。

 「なんでもない」
 そう言って、へへへと笑った顔がきれいで、私もそんなことあったよ、わからないって感じわかるよ、と大人ぶるのはやめて、ただ抱きしめてみる。

正論

 私の会社では数万人が働いている。
 老若男女それぞれが、それぞれの事情を抱えて、表向きには平静を装いながら、とても礼儀正しい距離感で、朝から晩まで働いている。

 この場所には正しいことしかない。
 正しい組織の中で、正しい手続が定められて、正しい事務フローが機能して、とにかく日々正しい。

 そして、この場所には正論しかない。
 自分の所属や立場や権限をよく理解した大人同士が自身の正論を持ち寄ってぶつかり合う。それはきっと多様性という観点では悪いことではないはずなのに、向いている方向は同じで最適解をみんなで探しているはずなのに、議論の末、最終的に人格だけが摩耗していくのは、なぜ。

 私の関わるいくつかの案件にはワーカーズ・ハイが常態化している人間もいて、長時間労働や残業に対して無感覚になるのに反比例して不思議な万能感に支配されているのが傍目からもわかる。その感覚を私はほんの少しだけ知っている。

 案件を力強く推進することこそが重要だと熱心に働く彼らと、最愛の家族との時間を犠牲にしてまで働く必要はないと割り切って早々と帰宅する私との間に、妥協点などあるのだろうか。私もかつては確かに彼らの側にいたはずなのに、親になった途端、私は対岸へ渡り、違う正論を手に入れた。

出口しかない部屋

 私には娘が二人いる。一人は健康優良児で、もう一人は、残念ながらそうじゃない。出生の時に週刊少年ジャンプくらいの体重しかなく、長生きしないとは言われなかったが、その代わりに長生きするとも言われなかった。

 結局、出産から半年後、退院日は急に決まった。長い入院生活だった。週2回は造血剤の注射のために通院すること、週1回の採血の結果が悪ければ輸血処置等のために即入院も有り得ること、先天性貧血は長い長い目で治療方法を探る必要があること。能面のような無表情で担当女医が淡々と説明した。不思議だが、この無表情に救われることもある。

 「それでも、家に一回帰ってみますか?」
 「はい。家に連れて帰ります。」

 声に出した途端、噛みごたえのあるフランスパンにグッと歯が入った時のような、ずっと触りたかった洋服の生地にようやく手が触れた時のような、強い実感が湧いた。

 そうだ、私はやっと誕生してくれた娘を一刻も早く家に連れて帰って、思いっきり抱きしめたり、顔を好きなだけ眺めたり、たくさん声をかけたり、音楽を聴かせたり、肌の匂いを嗅いだり、その都度の反応をじっくり見たりしながら一緒に暮らしたい。
 新生児室は真っ白で清潔で完全管理されていて、無機質な機械音が絶え間なく鳴り、娘にとっては安全であることに違いないけれど、もっと自由で明るい家族の秩序の中に身を置くことで、娘にとって何か良い影響が必ずあるはず。

 「新生児室ってね、一度出たら戻れないの。一度出たら、もう無菌じゃないものね」

 ベテランの看護師さんが教えてくれた。卒業したらこの部屋には二度と入れない。この世で一番安全な場所。自分から選択して出ていく勇気。

K氏の風景

 職場に一人だけ気を使わずに話せる人がいる。
 その人(以下、K氏)が私に対してどのような感情を持っているのかは知らない。興味もない。別に嫌われていてもいい。マウントの必要が無く、純粋に会話を楽しめる相手だから居心地がいい。

 彼は60歳で、読書好きの妻がいて、離れて暮らす二人の子供がいる。仕事ぶりは極めて真面目で、週末は趣味のサッカーを楽しむ。失礼ながら年齢よりかなり高齢に見えるのは、ロマンスグレーどころじゃない白髪ばかりの髪のせいかもしれないし、いつも眠そうな垂れ目のせいかもしれないし、しわがれた声や話し出す時の吃音のせいかもしれない。私はその吃音を気に入っている。

 普段のK氏は退屈そうで気怠く、見た目の印象も含めると老人そのものという具合で、必要以上に邪険にしてしまいそうになるが、会話が弾んで話題が多岐に及んだ時に見せる他人への強い好奇心や、前向きで中立的な世界への目線には、いつも学ぶことが多い。

 K氏は会話の中でたくさん質問をする。
K氏の素晴らしいところはただ聞いて、気になることや知らないことがあればたくさん質問して、自分の意見を言う。そこには私を導こうとする図々しさも無ければ共感しようとする馴れ馴れしさもない。
 そのことが私のような偏屈には好ましいのだ。

 「なるほどなるほど」
 「それはどういうこと」
 「それについてはどう思ったの」
 「なるほどなるほど」

 聞き上手のK氏が先日珍しく自分の話をした。週末にサッカーをしている話から、私がスポーツはどうも苦手で得意なものがあって羨ましいと話すと、いやいや元々は大変な運動音痴で今も昔も全く泳げないと教えてくれた。

 「小6の時、親の転勤で転校することになって、それがちょうど林間学校の直前だった」
 「小6の転校?それって辛すぎませんか。友達と一緒に卒業できずに離れたってことですよね」
 「いや、嬉しかった。転校すれば林間学校で泳がなくていいから。僕、その時に自分は持ってるなって思った」

 私は笑った。この考え方がK氏の本質かな、と思った。当時、周りの大人は勝手にK少年の気持ちを慮って心を痛めていたことだろう。でも、K少年の心には傷一つついておらず、彼はただ静かにガッツポーズをしていたのだ。

 K氏の細い肩の向こうに海を見る。
 小6のK少年が、転校により幸運にも免れ、その夏林間学校の遠泳に使われた海。その海の沖に向かって進むいくつもの水泳帽を、K少年は砂浜で膝を抱えて微笑みながら見ている。